お隠れになる
高貴な人物の死の表現として、お隠れになるという言葉がある。
僕はこの表現が好きだ。
世界から完全に消え去ったのではなく、あくまで隠れているだけなので、どこかに存在していて見守ってくれたりいつか再会できるような気がする。
そこには、あらゆるものに魂が宿るという神道的な考えと仏教的な輪廻転生の考えがあるように思える。
為政者にとって、お隠れになられたという表現はひょっとしたら都合の良いものだったのかもしれない。
なぜなら残された民にかすかな希望を与える表現だからだ。
例えばXjapanのhideが死んだとき、HURRY GO AROUNDの歌詞、"また春に会いましょう"を聞いて慰められたファンも多い思う。
(くるりは東京で季節に敏感でいたいと歌っていたけどここ数年に本当にそうだなと思う。都市にいると企業のプロモーションからしか季節を感じれない。)
魂よりもより物理的なものを充実するヨーロッパでは火葬はあまり行わない。
最後の審判で復活できなくなるからだそうだ。
もちろんそれもあるだろうが、そこに存在するという感覚が欲しかったのかもしれない。
(余談だがこの土葬文化はゾンビのルーツだと思う。一方で死が清潔なものになっても穢れという概念は強く残っている。穢れという考えはより本能的なものなのだろう。)
ひょっとしたらあらゆる別れには希望が必要なのかもしれない。
さよならだけが人生だ。
さよならが次の出会いのための下準備だと考えたら、少しは悪くないんじゃないか。
給料が上がらない理由
最近、物価が上がっているけど、給料は上がらない。
この理由を考えてみよう。
おそらく給料は下記の2つの要素で決まる。
1.会社の稼ぐ力
2.人材の貴重性
会社に稼ぐ力がないと給料を上げようがない。
ここでいう稼ぐ力は毎月、毎年の営業利益だ。
よく言われるような内部留保を考慮しない。
仮に内部留保が多くても毎月の利益率が低い状態は、経営のリスクが高いので給料を上げようとは思わないだろう。
なので、毎月、毎年の営業利益が重要だ。
(そもそも内部留保という項目は会計上存在しない)
稼ぐ力を向上するには2つの方式がある。
一つは、デジタル化などで生産性を向上させることだ。
ここはIT助成金などが該当すると思う。
二つ目は、そもそも生産性の高いビジネスモデルに変えることだ。
二つ目はスタートアップや新規事業を増やすことが重要だ。
次に人材の貴重性。
会社が儲かっていても人材の貴重性が上がらないと給料は上がらない。
なぜなら、仮にその人が辞めても外部から低コストで調達できてしまうからだ。
つまり、人が少なく取り合いが発生する状態では給料は上がり、人が余り求人に対して多くの人が殺到する状態では給料は下がる。
IT業界の求人が高いのは人が足りないからだ。
気軽に辞めれるということは人材確保しづらくなり、人材の貴重性が上がる。
日本はまだ利益を出している企業は多いから、もっと人材の流動性が向上させるべきだ。
派遣は確かに人材の流動性を向上させるが、貴重性は向上させていない。
他国は知らんけど日本は人材が余っていて交渉力が弱い領域を派遣にしているため、ただ企業が有利になっただけ。
大事なのは労働者の判断で自由かつリスクを少なく辞めれること。
その結果として流動性が上がれば、余裕のある会社は給料を上げて人材を確保しようと思うはず。
そのために必要なことの一つはリカレント教育が必要だと思う。
失業者向けの教育支援あると思うけど、他業界への転職向けの公的な支援少ないと思う。
あと失業保険、めっちゃ重要。
失業保険というか、転職失敗しても大丈夫保険があると良いと思う。現在の失業保険は本当に失業保険して困っている人がもらえる制度なので、もうちょい柔軟な仕組みが追加であるといいと思う。
あと退職者の有給消化もしくは有給買い取りは義務化してもよいと思う。
一方で資本力のある会社に人材が偏る可能性もあるので、資本力がない企業への支援も考えないといけない(やりすぎると本来潰れた方がよい会社も生き残り生産性を低下させる)
とりあえず思いついたこと書き殴った!
誰かもっと良い仕組みや間違いなどがあれば。
地域の食文化の生存可能性
日本の各地域の食文化は、今後も継承・創造されるのか。
各地域の食文化は、基本的に合理的な背景があって生まれたものが多い。
基本的にみんな美味しいもの・栄養があるものを食べたい。
例えば、米が育つづらい土地では、そばなどの米に変わるソリューションが発達する。
(みんな白米が食べたいのだ)
土地ごとに制約条件が異なるため、その中での最適解がその土地の食文化とも言えるかもしれない。
逆に言えば、そばの文化が発達した
合理的に生まれたものは、環境の変化に弱い。
米がなくて生まれた文化は米が足りた状態になると存在意義を失う。
ダーウィンの進化論的に考えると、今までの環境に最適化した食文化が必ずしも21世紀も生き残れるわけではないということだ。
現在の食文化の生存戦略は観光である。
そうすると観光に向いてる食文化のみが残されて、家庭で消費されてきた食文化は失うのではないか。
世の中の物流コストは、限りなく小さくなっている。
その結果、スーパーで買える食材は日本のどこにいってもそこまで変わらない。
食材の調達条件が変わらないなら、クックパッドやYouTuberがおすすめするレシピを作るのが普通だ。
そうすると、もうわれわれの社会には、地域に根ざした食文化は維持できないし、生まれないのか。
すでに多くの食文化が博物館行くになっているんだろう。
これからの食文化は、街おこしを目的として作られた食文化になるだろう。
(すでにB級グルメなどは作られた食文化が多い)
それに良いも悪いもないが、食文化がナラティブなものだった時代は失われていくのだろう。
文字を書く癒し
私の癒しは、コーヒーの香り、ハイネケン、そして文字を書くこと。
書くことは何でも良い。
グチだったり、読んだ本のことでも良い。
そういった内容を思いつくままにタイピングする。
昔、コンビニ店長がワープロにひたすら文書を書いていたという話をしていた気がする。
その時は誰に見せるわけでもない文書を書くなんて物好きだなと思っていたけど、今ならその気持ちがわかる(少なくても一人で酔っ払うよりも健康的!)
最近、ジャーナリングという言葉を知った。
文字を書くことで瞑想するらしい。
これ俺やっているやつだという気持ちと文章を書き終えた後のスッキリした気持ちの神秘感が薄まってしまったなという気持ちの半々である。
文字を書くことで瞑想できるなら、世の中にこれだけ言葉があることも、昔の人がたくさん詩を作ってきたのも理解できる。
文字を書くということは、動物的な本能を人間的な知性に変換する作業と言えるかもしれない。知らんけど。
喋っていても気づかないことが文字にすると気づく。
話している時は魔法のように見えたことも文字にするとなんでもないことだったりする。
キツく締めすぎたピントを、ふっと緩めてくれる。
そう考えると日記は合理的な仕組みだ。
そうじゃなければ貴重な紙を誰にも見せること文章を書くことに使うなんてどうかしてる。
あるいは手紙もコミュニケーション以上に瞑想的な意味合いがあったのかもしれない。
そうしたテキストの文化は20世紀の終わりから00年代にピークを迎えて、今は下り坂だ。
だけど、現状のclubhouseは、SNSの天下は取れないと書いて終わり。
(なぜならラジオよりも雑誌・新聞の売上が大きくて、TVはそれよりも大きい。電話する文化はメールやLINEに切り替わった。音声<テキスト<動画の構造は崩れないのでは)
なぜ戦略がないのか
アメリカの企業は、戦略がちゃんとしていて日本企業は戦略がないと思ってる人は多いのではないでしょうか。
戦略の不在は人材に育成から働き方まで大きく影響を与えています。
ではなぜ日本の企業は戦略がないと思われるんでしょうか。
そもそも戦略とは何でしょうか。
ビジネスにおいて戦略とは長期的利益の最大化だと私は考えています。
1.どのマーケットを選ぶか
2.マーケットシェアをどう得るか
3.マーケットシェアをどう維持・成長させるか。
1はファイブフォース分析やブルーオーシャン戦略
3はブランディング、プラットホーム戦略
のイメージですね。
日本企業は既存のマーケットにおいて1から3すべてうまくいってます。
負けたのは新しいマーケットかゲームチェンジャーが生まれたマーケットです。
つまり日本企業のほとんどは昭和の時代にできた戦略を効率的に実行することで利益を得ています。
なので大きく成長しようと考えない限り日本企業にとって戦略は新しく作る必要はありません。
そのため、一部を除き大手日本企業では戦略にたけた人材の育成は難しいと考えられます。
(たぶんほとんどの会社は、自分の部門の利益率を知らない)
そう考えると戦略的な機能はスタートアップに求められますが、スタートアップに終身雇用は維持できないので、安定した雇用からは遠ざかります。
(大量取りたくない、正社員増やしたくない)
そう考えると正社員による安定的な仕事は日本全体が大きく成長しているときのみに成り立つもので(
人材が常に足りないのでリストラが必要ない)、これからの時代は政府のセーフティネットがないと経済成長ができないというのが、今日の思考実験の結果です。
大阪都構想を調べる
大阪都構想について。 別に関係のない自治体なので、賛成も反対もありませんが、 いつくかyoutubeを見て論点が少しずれてそうな気がしたので整理しました。
重要なので再度繰り返すと賛成も反対もありません。 関係のない自治体なのでただの野次馬です。
大阪都構想(おおさかとこうそう)は、大阪で検討されている統治機構改革の構想。大阪府と大阪市(または大阪市を含む周辺市町村)の統治機構(行政制度)を、現在の東京都が採用している「都区制度」というものに変更するという構想である[注釈 1]。 特に、
大阪市を廃止し、 複数の「特別区」に分割すると同時に、 それまで大阪市が所持していた財源・行政権のうち広域的な役割を果たすための事業に充当するものを大阪府に譲渡し、 残された財源・行政権を複数の「特別区」に分割する、 ということが記載された「特別区設置協定書」[1]に沿った統治機構(行政制度)改革を大阪都構想と呼ぶことが一般的に多い。
と書いていますけど、目的がよくわからないんですよね。
よく二重行政についての議論もありますけど、
そうするとコストカットの議論になって、議論が小さくなりがち。
いろいろ調べていると、
要は意思決定をすばやくできるようにしたいということなんじゃないかと思います。
大阪市のサイトにも書いていますけど、
意思決定が早くすることは、課題が多いの世の中なのである程度共感できる。
https://www.city.osaka.lg.jp/fukushutosuishin/page/0000492418.html#1
それで意思決定が遅くなる要素が二重行政なんですけど、
広域行政が二重になっていることが問題なんですよね。
なんでかというと、大阪市がパワーがありすぎるから。
本来、各市町村は広域行政に直接関わらない(関われない)けど、
大阪市はパワーが多いので広域行政に関わることができて結果二重行政になっている、
ということなんじゃないでしょうか。
なので、大阪都構想では大阪をいくつかの区に分解します。
これで大阪府が広域行政の明確な責任者になり、
広域行政については大阪府の判断で実行できます。
一方で、大阪市自体も複数の区に分かれることができるので、
それぞれの区で独自に施策など行うことができます。
大阪市、人口300万人近くいるからね。
関係者が多いから何をやるにも調整に時間がかかりそうです。
これは、スタートアップが大きくなると意思決定が遅くなるので、
ホールディングス制にして分社化にするのに似ていますね。
ステークホルダーが減れば意思決定から実行までスピーディに行えますから。
まぁ当然デメリットもあるので、どっちがいいかは好みじゃないでしょうか。
なので、スピードアップを論点に話してもらえば、
すごいわかりやすいと思うんですけど、
なんで二重行政の話になるんでしょうか?
ここがすごいミスリードが気がします。
デジタル庁の平井大臣が
「スタートアップ企業を立ち上げるような感覚で仕事をしなければいけない」
と言っているのと比べると広報に問題がある気がしますね。
iPhoneとスクロール
iPhoneが発売されて13年。
僕が初めて買ったiPhone4の発売からも10年経ちました。
10年間経ってiPhoneの一番偉大な発明は何かと考えると慣性スクロールだったんじゃないかと思うわけです。
当時はキーボードがないこと自体が驚きでしたが、タッチパネルで文字を入力すること自体はATMで昔からありました。
マルチタッチもすごい技術ですが、スマホに関してはゲームをしないとあまり使わないと思います。
じゃあみんなが何をもっとも使っているかとスクロールで、ホーム画面での横スクロールやブラウザなどの縦スクロールですね。
昔のタッチパネルのスクロールって、画面に表示された下ボタンをタップするものだったり、早くスワイプの速度とスクロールが連動しなかったんですよね。
この辺iPhoneはめっちゃくちゃうまく作られていて、慣性スクロールでさくさくページめくれるし、バウンススクロール(ボヨンと跳ね返るやつ)で最後までスクロールしたことが初めての人でもわかるし。
タッチパネルで大量の情報を扱えるようになったのは、このスクロールの技術のお陰だと思うんですよね。
AppStoreも偉大な発明ですけど(これはセールスフォースが先かもしれないけど)、iPhoneの完成度が高いからAppStoreが成り立ったわけで。
最終的にはiPhoneのスクロールはMacのトラックパッドにも使われて、PCの操作性を変えたんですよね。
昔のトラックパッドのスクロールは、上から下にスワイプでしたから。
下から上へのスワイプってPCからじゃでない発想ですよね。
そう考えるとスクロールのイノベーションが凄まじい。。
そんなわけでスクロールに感謝して寝ます。