文字を書く癒し
私の癒しは、コーヒーの香り、ハイネケン、そして文字を書くこと。
書くことは何でも良い。
グチだったり、読んだ本のことでも良い。
そういった内容を思いつくままにタイピングする。
昔、コンビニ店長がワープロにひたすら文書を書いていたという話をしていた気がする。
その時は誰に見せるわけでもない文書を書くなんて物好きだなと思っていたけど、今ならその気持ちがわかる(少なくても一人で酔っ払うよりも健康的!)
最近、ジャーナリングという言葉を知った。
文字を書くことで瞑想するらしい。
これ俺やっているやつだという気持ちと文章を書き終えた後のスッキリした気持ちの神秘感が薄まってしまったなという気持ちの半々である。
文字を書くことで瞑想できるなら、世の中にこれだけ言葉があることも、昔の人がたくさん詩を作ってきたのも理解できる。
文字を書くということは、動物的な本能を人間的な知性に変換する作業と言えるかもしれない。知らんけど。
喋っていても気づかないことが文字にすると気づく。
話している時は魔法のように見えたことも文字にするとなんでもないことだったりする。
キツく締めすぎたピントを、ふっと緩めてくれる。
そう考えると日記は合理的な仕組みだ。
そうじゃなければ貴重な紙を誰にも見せること文章を書くことに使うなんてどうかしてる。
あるいは手紙もコミュニケーション以上に瞑想的な意味合いがあったのかもしれない。
そうしたテキストの文化は20世紀の終わりから00年代にピークを迎えて、今は下り坂だ。
だけど、現状のclubhouseは、SNSの天下は取れないと書いて終わり。
(なぜならラジオよりも雑誌・新聞の売上が大きくて、TVはそれよりも大きい。電話する文化はメールやLINEに切り替わった。音声<テキスト<動画の構造は崩れないのでは)